2011年12月23日金曜日

礼実太鼓

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●ジュネーブで和太鼓の演奏を続け、指導にも励むRémi Clementeさん(写真提供 Rémi Clemente)




JB Press 2011.12.19(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/32653?page=2

広がれ和太鼓! 
大和魂を欧州に伝授するスイス人日本の和太鼓グループと草の根交流も続ける

ジュネーブ中央駅から徒歩数分の体育館に、毎週1回、10数人の男女が集う。
裸足になり、手には和太鼓のバチを手にしている。
4台の太鼓を囲んで、打ちの練習に余念がない。
そこに、ひときわ背の高いレミ・クレメンテがいた。
和太鼓の教師として、そして演奏家として活躍している男性だ。

■50人以上に和太鼓を教え、演奏もこなす日々

 レミは皆の様子を見ながら、姿勢や打ち方を教える。
 「こうやって叩くのだ」。
 レミが勢いよくバチを太鼓に叩きつけると、音の深みがまるで違う。
 心の芯に届いたかのような響きだ。

 レミは、ジュネーブ市と近郊に現在4つの和太鼓教室を持つ。
 始めて1か月というビキナーから4年近くという経験者まで、総勢50人がレミの下で太鼓を学んでいる。

 加えて、子供教室(6歳以上)もある。
 1回の練習は1時間45分(子供教室は1時間)。
 走ることから始め、打ちの基本練習、そして曲の練習と続く。

 レミの生活は、家庭で夫・父親として過ごすほかは、和太鼓一色だ。
 平日週4日は教えて、残りの1日はジュネーブ市の各小学校を回って、和太鼓を披露している。

 ジュネーブ市が企画した、学校で様々な国の文化を紹介するプロジェクトに参加しているのだ。 

 そして、週末は和太鼓教室の生徒数人と一緒に、お祭りや音楽イベント、日本関連の催しで演奏している。
 「礼実太鼓(れみたいこ)」がレミのグループ名だ。
 持ち曲は15曲で、徐々に増やしている。

 和太鼓の活動は、友達を集めて、公園で練習することから始まった。
 参加者が増え続けて教室を開くことになり、「礼実太鼓」の活動も少しずつ始めると口コミであっという間に広がった。
 迫力があって絵になる「礼実太鼓」はあちこちから声がかかり、毎月のように演奏依頼が入っている。

 鼓童、YAMATO、TAOといった著名な和太鼓グループは、欧州でも継続的に演奏活動をしていて、エンターテイメントとしての和太鼓はスイスでも馴染みがある。

 米国では、ストレス解消にとビジネスマンも趣味にするほど和太鼓が広まっていると聞くが、欧州で、自分たちが演奏者となって人々を楽しませる側に回るというのは、かなり珍しい。

■和太鼓に魅せられ、大学を中退


●黄色い「礼実太鼓」の旗を掲げ、Rémiさん(一番左)たちは、毎月のようにイベントに出演中(写真提供 Rémi Clemente)

 レミと和太鼓の出会いは、およそ8年前のことだ。
 来年3月で14回目を迎える「ジャパンデイ」という日本の伝統文化を紹介するイベントが、人生の岐路となった。

 「ジャパンデイ」は、欧州を中心に海外で毎年開催されている。
 開催地は毎年変わり、日本から一般の人たち100人以上が訪れて、和太鼓や箏の演奏、日本舞踊などの披露、書道や華道の紹介などを行う。
 開催国の日本大使館も後援している。

 その年、ジュネーブで開催された「ジャパンデイ」には、神奈川県川崎市の和太鼓グループ「響」が参加した。
 「響」は、太鼓なしでは生きられないという玉田菅雄(現在62歳)の指導の下、エネルギッシュに活動を続けている。


●日本式の「黙って見て盗め」で、和太鼓を覚えたRémiさん。篠笛もマスターした(写真提供 Rémi Clemente)


 「自分がやってみたかったことはこれだったのだ。太鼓を叩けるようになりたい!」

 「響」の演奏を見て、レミの体と心に電撃が走った。
 当時ジュネーブ大学で日本学を学び空手も趣味だったが、日本への興味は漠然としていた。

 このとき、瞬時に和太鼓に絞られたのを感じた。
 気がつけば、その場で玉田に「和太鼓を教えてほしい」と話しかけていた。

 玉田は承諾したものの真に受けず、レミに連絡先を教えないまま帰国した。
 後日、日本学科で「ジャパンデイ」に参加した人に聞いてみたら、運良く玉田の連絡先を教えてもらえた。

 「響」の演奏からたった3カ月後、レミは大学を退学し、玉田に太鼓を習うために日本に向かった。
 このときは、スイス帰国後に和太鼓の伝道師になるなどとは思っていなかった。
 和太鼓への情熱だけが、レミを遠い日本への滞在と踏み出させたのだった。

■日本式「黙って見て盗め」で学ぶことを経験

 玉田はレミを歓迎した。
 ただ、コミュニケーションはすんなりとはいかなかった。
 日本語を学んでいたレミだったが、日本に着いた当時は自分の言いたいことをまだ流暢に話せず、知らない言葉もたくさんで、辞書を引きながら会話していたという。

 とはいえ、言葉の壁は玉田の側にとっては大きな問題ではなかった。
 和太鼓は、ピアノのように、音の出しかた・演奏のしかたを逐一教える楽器ではない。
 ほかの人たちがやるのを見て真似ることが基本だ。

 「丁寧な個人指導ではなく、団体練習の場に入って一緒に活動するのが一番と考えていた」。
 玉田は筆者の問い合わせに答えた。

 「響」を含めて方々で和太鼓を指導している玉田は、教えている10団体の練習の場にレミを毎日のように連れて行った。

 レミは玉田の全体への教え方を見て、とにかく一緒に叩いた。
 「黙って見て盗め」という玉田のメッセージを理解し、「どういうふうにすれば」と玉田に尋ねることも控えた。

 分からないことはどんなに小さなことでも尋ねる、人に聞くことは恥ずかしくないという欧州一般の文化で育ったレミにとって、これは少なからぬカルチャーショックだった。


●恩師の玉田菅雄さん(前列右)や日本の和太鼓仲間との親交は続いている。2009年11月、川崎の和太鼓グループ「響」15周年記念コンサートにも、Rémiさん(前列右から2番目)は駆けつけた(写真提供 玉田菅雄)


 「いま、スイスで教えていて、この違いを改めて痛切する。
 最近は減ってきたが、叩き方を見てくださいと言っても、すぐに質問が出てくるのは普通のこと。
 日本では20人生徒がいても1つのことを教えることはできるが、スイスでは収拾がつかなくなって無理だと思う」

 しかし、「黙って見て盗む」からといって、受け身で学んでいたということではない。
 逐一教えてもらわないからこそ、うまくなりたいという高まる思いのもとに自分で試行錯誤を重ねたのだ。

 「レミは自分なりに身につけた」
と玉田が明言する。
 センスのよさも幸いして、レミはメキメキと腕を上げた。

 叩く技術だけでなく、教え方まで盗んだ。
 「教える方法も自分なりに見つけ出していった」
と玉田。
 レミが玉田の生徒たちを教えることが、いつしか日常の風景となったという。

 和太鼓に関して門外漢だったレミは、太鼓運びをしたり練習の場に加わることで、太鼓留学生から和太鼓仲間の一員となっていった。
 コンサートにもたくさん出演し、和太鼓の世界にどっぶりとつかる日々を9カ月間送った。

■カンパでもらった太鼓を胸に、スイスへ帰国

 帰国するころ、レミの腕前は仲間たちが賞賛するほどまでに上達していた。
 「きっとお世辞を言っているのだと思った。
 本当に、自分はそんなに上手なのかよく分からなかった」
と振り返るレミだが、玉田もレミの実力を認めていた。
 
 玉田は言う。
 「レミの和太鼓のセンスは抜群。
 叩くときのガニ股で腰を安定させる構えも、日本人より身についていた。
 太鼓は練習すれば誰でも上手になれるが、レミは素直な心の持ち主で、何でも学ぼうという心構えも上達を早めた。
 1年足らずで、10年くらいの経験者と同じになった」


●Rémiさんの和太鼓教室の練習風景。始めてまだ1か月という人もいる。「礼実太鼓」を見て参加を決めたという人も(筆者撮影)

 レミの心は、スイスで和太鼓を指導するという挑戦に向いていた。
 玉田は
 「太鼓一本で、はたしてスイスでやっていけるのか」
と心配だった。

 しかし、レミの固い意志に「そうだ、太鼓を贈ろう!」とひらめいたという。
 レミが関わった太鼓団体にカンパを呼びかけると、67万円がすぐに集まった。

 大きな太鼓1台と小さい締め太鼓2台をプレゼントした。
 スイスでの演奏活動のためにグループの結成も勧め、玉田が「礼実太鼓」と命名した。

■日本とスイスで続く草の根交流

 以来「響」やほかの和太鼓グループとの交流はいまも続いている。
 「響」団員がジュネーブを訪れて「礼実太鼓」と一緒に演奏したり、レミが単独で訪日して太鼓仲間と共演したり、生徒たちを日本に連れて行って講習を受けたり。

 来年3月の「ジャパンデイ」でも、「響」と「礼実太鼓」との合同演奏が決まっている。
 開催地のパリで、きっとたくさんの聴衆を魅了することだろう。

■和太鼓の魅力を、ぜひとも子供たちへ


●女性もこんなにいる。「気持ちがいい」「団体で活動するのが楽しい」と、和太鼓は女性にも人気だ (筆者撮影)

 レミの当面の希望は、チューリヒなどスイスのドイツ語圏にも和太鼓を広めることだ。

 そして、それ以上に目指していることがある。
 太鼓教室はもちろん続けるが、とりわけ、たくさんの子供たちに和太鼓の魅力を伝えたいのだ。

 レミはすでに遠い将来を見据えている。自分が引退し、いまの教え子である大人たちも高齢に達したら、少しずつ根をおろしてきた和太鼓の輪が消えてしまう。

 レミの子供教室は生徒が目下3人のみだが、気にしていない。

 「習い事として学ばなくてもいい。
 大事なのは、すごいなあと強い印象を子供の心に刻み込むこと。
 大きくなって、ああ太鼓って素晴らしかったな、やってみようかなと思ってくれることを期待している」

 日本に深いゆかりのなかった彼が、こうして日本の伝統の灯をともし続けている。
 和太鼓を文字通り一所懸命に伝授するレミの姿勢に、取材しながらうれしさがこみ上げた。
 レミの活動は、ますます多くの欧州の人たちの胸を打つはずと確信した。






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