2012年1月10日火曜日

脳残君(Ⅱ):日本人は納豆だった、納豆力の恐ろしさ

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● 日本人は納豆だった



サーチナニュース  2012/01/10(火) 12:17
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0110&f=national_0110_100.shtml

中国人留学生がマンガで描く日本
「日本人は納豆だった」

外国で暮らせば、その国の食べ物が好きになる場合も、そうでない場合もある。
「脳残」君のお気に入りは納豆だ。
そしてある日、“重大”なことに気づいた。
納豆こそ日本人ではないか。
小さな「豆」だがバラバラではない。
他の多くの豆と常に「絆(きずな)」で結ばれている。
勤勉である上に、人と人が手を取りあうからこそ、日本人は第二次世界大戦の敗戦から立ち直れた。
大震災に対しても同様だ。
「日本人は大きな災難に直面した時こそ、力を発揮する」
と、「脳残」君は深く納得した。

まずは、スーパーに並べられた納豆や、パッケージ内部に醤油やからしが入っていることを紹介。
物価の高い日本ではあるが、納豆は1パック当たり25円程度と、安価な食べ物であることにも触れた。

納豆の「ねば」は、日本人特有の「人の絆」だ

そして食べ方。
箸を使って、力をいれてかき回す。
すると「ねば」が出る。
「この『ねば』こそが、納豆の中でも最も美味。
豆そのものよりずっとおいしい」
と絶賛した。
ただし、
「日本人全員が納豆を好きなわけではない」、
「納豆を嫌いな人にとって、この『ねば』は吐き気をもよおすシロモノなんだけどね」
と、つけ加えた。

「脳残」君は納豆を食べながら
 「どうして、日本人は納豆が好きなんだろう」
と考えた。
そして、突如として「大いなる悟り」を得たという。
日本人は納豆ではないか。
日本人が好んで使う『人と人の絆』は、ねばで互いに結び付いた納豆にそっくりだ」
と。

小さなパックに詰め込まれている点も、日本の国土と日本人の関係と同じだ。
そもそも、納豆は豆で作る。
日本人はひとりひとりが「まめまめしく」働く。
勤勉だ。
第二次世界大戦で敗北し、「日本はもう終わりだ」と思われたが奇跡の復活。
廃墟から立ち上がり米国に次ぐ世界第2の経済大国にまでなった。
勤勉な日本人は「1歩、1歩、着実に前進する。
日々の積み重ねがあるから、大きなことを成し遂げるのは必然」と考えた。

突発事態で「ねば」出す納豆、「団結心」出す日本人

そして、納豆の豆は独立しているようでいて、「ねばという絆」で結びつけられている。
日本人の「心の絆」だ。
日本人は中国人と違い、言葉を用いることが、それほど多くない。
それどころか、だれかが「おい」と言えば、「はい」とだけ返事をして、相手が望んでいることをしたりする。

日本には「以心伝心」という言い方もある。
日本人には目に見えない心の絆があるからこそ、言葉を使わなくても相手を理解できる。
これはスゴイことだ。
この心の絆があるからこそ、日本人はこの小さな島で互いに睦(むつ)みあい、助け合い、共に生きてくることができたのではないだろうか。

納豆を食べる時には、かき回す。
納豆の豆にとって、これは「大地震」と同じだ。
そして、納豆はかき回されると「ねば」をいっぱい出す。
日本人は震災に遭遇すると、「心の絆」を伸ばしてしっかりと団結した。
納豆で、最もおいしいのは「ねば」だ。
日本人で最もすばらしいのは、この団結心だ。
日本人は、大きな災難に遭遇した時こそ団結する。
これが日本人の最大の力量なのだ。

「脳残」君が日本に来たのは2011年5月だった。
2万人が亡くなり数十万人が故郷を離れざるをえなかった大震災の2カ月後だったのに、社会の秩序は保たれ、人々は平静に復興活動に励んでいた。
その日本人の冷静で落ち着いた表情を見て、はっきりと分かった。
「この国、この国の人々が地震でつぶされてしまうことは、絶対にあり得ない」
と。

「脳残」君の誓い~われに納豆の力を与えたまえ

「脳残」君は改めて、中国のことを考えた。
人と人とが理解をせず、毎日の生活でも争いばかりだ。 
こんなことで、「幸せなふるさと」を追い求めることは、絶対に不可能だ。
そして「脳残」君は心に誓った。

「私は日本に来た。
だから日本に言いたい。
われに、納豆の力を貸し与えたまえ」――。

「納豆の力」があれば、どんな困難にも打ち勝てる。
周囲の人と心の絆を作りあげ、力を合わせて一歩、一歩、進んでいけば不可能を可能にすることもできる。
幸福な未来を築くことができる。

「脳残」君は中国の読者に問うた。
「皆さん、どう思いますか? 
納豆の力がほしいとは思いませんか? 
幸福な生活をしたいと思いませんか?」――。
そして最後に
「明日の幸せのため、今日のわれわれは、日本と一緒に努力しようではありませんか」
と呼びかけた。

**********

「日本人=納豆」説は、7月に参加した県レベルの日本語弁論大会でも披露した。
中国語原文は一気に書きあげて自分でも感動するほどの出来ばえだったが、日本語原稿は大いに難航。
翻訳の難しさに頭を抱え、まる2日かけて2000字ほどにまとめた。
日本語学校の校長には
「来日して2カ月の初級クラスの学生が弁論大会に出るのは、わが校で初めて」
と喜んでもらえたという。

**********

「脳残」君は、日本にやってきて半年あまり、語学学校に通う中国人留学生のペンネームだ。
自分自身が登場するマンガ『日在日本』は、中国のインターネットでも人気を集めている。
掲載サイトには、「日本の真実を教えてくれる」などのファンの声が次々に書き込まれている。

『日在日本』は作者の了承を得て、日本人読者向けにサーチナでも掲載できることになった。「脳残」君の目を通して、中国人がいだく「日本留学のイメージ」をお伝えしたい。


読んでいてなるほどと思った。
が、突然吹き出してしまった。
この部分、
われに、納豆の力を貸し与えたまえ

「納豆力」
これこそ、クールジャパンの根本パワーかもしれない。






サーチナニュース 2012/01/13(金) 12:03
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0113&f=national_0113_080.shtml

愛は強引、秋葉原篇


日本での生活を始めた「脳残」君が、真っ先に手に入れたかったのはパソコンだ。
マンガを描くために使うこともある。
しかし、もっと大切な「事情」もあった。
先輩にパソコンを買える場所を聞いたところ、「秋葉原だね」との回答。
おお! あの“お宅族”の聖地か」――。
「脳残」君の胸は高鳴った。

時間があるのは週末しかなかった。
とにかく早く行きたかった。
来日したばかりだが、「脳残」君は単独で秋葉原に向った。
小雨がぱらつくあいにくの天気だったが、とにかく秋葉原にやってきた。

日本語には、まだ自信がない。
必要なものは日本に来る前に調べておいた。
店に入ると血走った目で紙を突き出して
「ここに書いているもの、ありますか?」
と店員さんに迫った。
「私も“お宅族”だ。
“お宅”には“お宅”のやり方がある
と、強引にも“会話力ほぼゼロ”での買い物だ。

ところが、店員さんの反応は芳しくない。
「配達日は、1カ月以内ということになりますかね。
どの日になるかは分かりませんけど」
とのご託宣。

「脳残」君は切れかけた。
我慢できない。
「1分間だって、待てやしない」――。
結局、店に置いてあった商品を入手して、自分で担いで帰ることになった。

雨足が強くなった。
「脳残」君はめげない。
濡れねずみになりながらも、大きな荷物を持って道を行く。
電車に乗れば、ずぶ濡れの「脳残」君を周囲からの好奇心に満ちた視線が突き刺す。
こうなったら、“お宅族”の意地だ。
人のことは気にしない。

実は「脳残」君、既婚者だ。
日本へはふるさとに妻を残しての「単身留学」。
自分の将来のことをじっくりと考え、愛する妻を「身が引き裂かれる思い」で残して来た。
しかし時代は21世紀。
パソコンを使えば、妻と通信できる。
顔を見ることもできるし声も聞ける。
その一心で今日は頑張った。

パソコンを組み立て、セットアップ。
ネットにつなぐ。ところが「脳残」君の妻は折悪しく、ネットに接続していなかった。
携帯電話もなく、国際電話はかけられない。
そこで、パソコンを使って中国にいる友人に懸命に連絡し、「妻にPCを開くように伝えてくれ」と懇願した。

やっとのことで通じたのは夜の11時半。
「脳残」君は思わず突っ伏して落涙。
心の中で「妻よ、分かってくれるかい。
早く顔を見たかったんだ。
大変だったんだよ~」
と叫んだ。

画面の向こうでは「脳残」君の可愛い“愛妻”が、
あなた、どうしたの!? 
急にひっくり返っちゃって?
と、怪訝(けげん)そうな顔をしていた。




サーチナニュース  2012/01/16(月) 11:53
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0116&f=national_0116_096.shtml&pt=large


ゴ、ゴミんなさい!



留学生の多くは、まず日本語学校に入学することになる。
大学の日本語学科の場合もある。
各学校とも日本語教育だけでなく生活指導を行う。
留学生らも、周囲の日本人とトラブルを起こすことは本意でないから、日本社会の習慣やルールは学びとろうとする。
ただし、来日してある程度の時間が経過してから、問題を起こす場合がある。
日本での生活に慣れたことで逆に、「この程度なら大丈夫だろう」と、安心してしまうからだ。
来日当初に多く見られるのは、「理解不足」によるトラブル。
「脳残」君も、やってしまった。

来日当初、日本語学校で「ごみの出し方」の説明を受けた。
「燃やして処理するごみ」は、白い半透明の袋に入れて出さねばならない。
缶など金属容器は水ですすいでから、専用の青いかごに。
「リサイクルする」と聞いて、「脳残」君は、「人が多くて資源の少ない国だからか」と思った。
そして、日本のごみ分類は、
「地球上で最も複雑で、最も細かくて、最も煩雑だ」
との感想を持った。

ごみの分類の説明はまだ続いた。
ガラス瓶は水ですすいで黄色のかごに入れる。
新聞紙などはきちんとまとめてから、ひもで縛って出さねばならない。
このあたりで「脳残」君は頭がくらくらしてきた。

驚いたのが、粗大ごみだった。
自転車や家具類など。
「勝手に出してはいけません。費用を払わないと、回収されません」
との説明を受けた。
ごみを捨てるのにお金がかかるとは。
思いもよらなかった。

その時、「脳残」君は、はたと思いだした。
住んでいるのは学校が用意した寮だ。
掃除のおばさんが来てくれる。
これはラッキー、楽ちんだ。
自分で分類しなくとも、おばさんがきちんと整理してくれる。
ごみの問題で頭を悩ますこともない。
そして寮に戻った「脳残」君は、生ごみ、缶類、紙くずなどを次々に、部屋の外にあるゴミ収集用の大きな容器に放り込んだ。
そして翌朝……。

「な・ん・な・の!! これは~!?」――。
寮内に「掃除のおばさん」の声が轟(とどろ)きわたった。
近所の人も飛び起きたに違いない。「脳残」君はやっと分かった。
寮内でごみを出す時でも、分別しておかねばならなかったのだ。

「張本人は私です」と名乗り出る勇気もなく、「脳残」君は「ごめんなさい。
本当に知らなかったんです」と、心の中でひたすら謝るのだった。





サーチナニュース  2012/01/24(火) 12:40
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0124&f=national_0124_082.shtml

今に見ていろ、僕だって
   


「日本に来る中国人留学生は皆、アルバイトで金を儲けることが目的だろう」――というのは大きな誤解だ。
そういう者がいることは否定できない。
しかし、自分自身の人生を考えれば、しっかりと学んで学位や卒業証を取得した方が、はるかに有利だ。
もちろん勉強は楽でない。
環境も教え方も中国とは違う。
あまりにも苛酷な授業に、いつも「僕は完敗した」と思う「脳残君」だった。

日本語学校での授業が始まった週。「脳残」君は「史上最大の危機」と痛感した。 
こんなに苛酷とは思わなかった。完全に打ちのめされた。惨敗だ。

まず、生活リズムの問題。
中国の学校は始業時間が早い場合が多い。
その場合、昼休みが2時間程度ある。
1時間程度の昼寝は問題なく可能だ。
午後は再び、しゃっきりとした気持ちで勉強に取り組める。
「脳残」君は、「昼寝をして当たり前」という生活リズムが体に染みついている。
日本語学校の午後の授業は意識を保つだけでも一苦労だ。

そして、先生の話す速度。
日本人の年配の女性は、ゆっくりと話す人が多い。
日本語学校の先生は年配の女性なのに、言葉の速度については“間逆”だ。
とにかく半端ではない。
控えめに言っても普通の人の2倍。
先生の口からはビデオの「早送り」のように日本語が次々に飛び出す。
「脳残」君は「日本語爆撃」と名づけた。

もうひとつ。
授業がすべて日本語であることも、初心者にとっては大きな問題だ。
中国国内の外国語の授業だったら、教師は中国語を使って説明してくれる。
しかしここは日本だ。
先生は日本語だけで授業を進める。
「脳残」君にとって「チンプンカンプン」なことの連発だ。

そして授業速度。
中国における日本語授業の倍以上の速度で進んでいく。
全力疾走で授業をリードする先生に、生徒も全力疾走でついていかねばならない。
目を回した「脳残」君は
「時間は金なりという資本主義の鉄則を、体で感じることになった」
とぼやいた。

そして、課題の山。
中国における外国語の授業は、文の丸暗記と文法理解が主だ。
日本は違う。
先生は、教科書をあまり使わない。
そのかわり、プリントを多用。
生徒に練習をさせ、次々に答えさせる。
気を抜くひまなど、ありゃしない。
1日にプリント十数枚が配られる。
それが当たり前。
日本では、コピー代がタダなのだろうか。

日本に来る前
「午前だけ授業をする日本語学校が多い。
午後にアルバイトをしやすくするためだ」
と聞いていた。
しかし、どうも違う。
あの「強烈な授業」を午後遅くまで続けたら、生徒は気を失う。
学校の保健室は満員になってしまうに違いない。

しかも、「脳残」君は、いったん社会人になり働いてからの留学。
他の留学生より10歳程度「おじさん」だ。
この歳になって、速射砲・爆撃式の日本語授業はこたえる。
寮に帰り着いた時は半死半生だ。

し・か・し……と
「脳残」君は続けた。
心の中で「このオレを倒そうだって? 
100万年、早いんだよ!」
と叫んだ。
ちなみに、以前に読んだことがある、日本のマンガの中にあったせりふだ。
日本に来るまで、「耐えがたきを耐え」て、他人には想像もできない困難を克服した。
そして、やっと留学できたのだ。

日本に来て、勉強が苦しいのは当たり前。
それを承知の日本留学だ。
留学を実現するための努力を振り返れば、これしきの困難が何だ。
「今に見ていろ、僕は絶対に負けないぞ!」
と、「脳残」君は心に誓った。




サーチナニュース 2012/01/18(水) 11:51
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0118&f=national_0118_070.shtml

日本語学校で“魔法の大喝!



留学した以上、その国の言葉を学ばねばならない。
当たり前だ。
ところが、これが結構、苦痛である場合が多い。
大人の脳は、単語を次々に丸暗記していくようにはできていない。
教科書の文章を読みこなせばならないが、内容に興味が持てるとは限らない。
「脳残」君の通う日本語学校でも、授業がもうすぐが終わるころになれば、生徒全員が完全に「だらけモード」だ。

教室で唯一、溌剌(はつらつ)としているのは先生だった。
「あと1分ありますからね。問題を2つ、やっておきましょう」と宣言。
生徒にやる気はない。
「先生、もうおしまいにしましょう」、
「疲れましたよ」
と言い出した。

いきなり、先生の“大喝”が飛んだ。
「皆さんの授業料は高いんですよ!」――。
それで全員、目覚めた。
払った授業料分の「モト」を取らねば損だ。
教室の空気は引き締まり、全員が改めて熱心に勉強を続けることになった。

「脳残」君は考えた。
中国に生まれ、子どもの時から20年近く学校に通ったが、「高い授業料を払っている」と言い聞かされたことはなかった。
日本に来たら、2週間もたたないうちに、「授業料を受け取る本人」とも言える先生から指摘された。

「もしかしたら、これが日本人の考え方か」
と思った。
他人に負担をかけたら、絶対に「申し訳ない」ことはできない。
教師は学生に授業料を払わせていると自覚している。
学生は、親に金を出してもらっている場合がある。だから、
「できる限りの努力をせねばならない」
と考える。

「脳残」君はつぶやいた。
中国の物価水準からすれば、日本語学校の学費は決して安くない。
来日前に1年分の費用を用意したが、そのために、汗水たらして働いて3年間かかった。
貯金を、すべて吐き出すことになった。

日本語学校の先生が発した「授業料は高いんですよ!」というひと言は、魔法のような“大喝”だった。
こつぜんとして悟った「脳残」君にとって、これまでのように『なんで、まだ授業が終わらないのかなあ』と考えることは、もうありえないという。




★つづく



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